患者さんから信頼されるため、看護師として適切な医療を提供するためにどのような人間性が必要でしょうか?
命を込めた看護
患者さんは、患者としてしてしか扱われないがいやだと感じます。
患者であるまえに一人の人間。
あなたが患者さんのことを“患者”だとしか思わないとしたら、あなたは自身のことも“看護師”だとしか思わないでしょう。
「それって看護師なのだから当然では?」
看護師である前に、あなたも一人の人間。
あなたが病棟に入院している患者さんだとして想像してみてください。
人としての人格がにじみ出る看護師
プライベートのことも含めて話をしてくれたり。人として患者であるあなたに接してくれます。
一方、人間性が全く見えない・感じられない、ただ、看護師という“役割”に徹する看護師
あなたを一人の人間というよりも“患者”としか見てきません。
…邪推かもしれませんが、ともすれば“もの”のように扱われているとさえ感じます。
確かに人間の看護師が看護をしてくれますが、まるで血が通っていないような、アンドロイドであってもわからないような気がしてきます。
「患者なのだからしかたないか…。」
そんなあきらめを感じるかもしれませんね。
患者さんに本当の意味で“人”として接するために
患者さんを生身の人として接する…
もしかしたら、そうとうなエネルギーを要することかもしれません。
人を好きであること
人が好き、という人は、人を助けることも好き。
患者さんを看護することも好き。
人を自然に好きだと感じられるかどうか、命を扱う看護師には致命的に必要な要素だと思います。
人が好きなら、
患者さんの話を心良く聴いてあげられて、親身になってあげられるでしょう。
マザーテレサやナイチンゲールのように。
また、人が好きなら、
看護師として人を助けるのが好きで、患者さんの看護もすすんでやれるでしょう。
看護師としての正しい倫理観
人のことが好きなら、患者さんやご家族の最善ために行動できるでしょう。
看護師として自然に正しい倫理観も持てるはずです。
でも、だからといって、決して無理はしないでほしいと思います。
まずあなたがあっての倫理観です。
看護チームの一人としての協調性
人が好きな人は、同僚や先輩看護師も尊重できる、人の話を聴く力があり、
協調できると思います。
看護チームの一人としての主体性も併せ持つこと
人を好きであるということは、ともすれば他人を優先し自己犠牲的になってしまいがちかもしれません。
しかし、主体性のないところに協調性もありません。
お昼に何を食べにいく?
お友達や家族という相談をしていて、何度か「なんでもいいよ」と相手を尊重しても済みますが、
いつも「なんでもいい」では、「たまには意見をいってよ」と言われます。
同僚や看護師長さんを尊重するあまり、意見を言うべきところで黙っていてはチーム医療は成り立ちません。
どうすれば人を好きになれるか、その助けになるかもしれない考え方
深層心理学的にいうと、あなたも、患者さんも、先輩看護師も、上司も、すべてあなた。
無意識の世界では自分と他人の分け隔てがありません。
不思議ですが、家族に肩もみをしてあげてその方の肩こりが楽になると、あなたの肩こりが楽なったりします。
どうやら人と自分はつながっているようだという例です。
患者さんへの気持ちはあなたの看護師人生に影響
患者さんや他人を好きになること・愛することは、あなたを好きなること・愛すること
患者さんの幸せは、接するあなたの幸せ。
助からないかもしれない、ご本人が思うように治療はすすまないかもしれない。
それでも、あなたに献身的な看護してもらえた。
そこに幸せを感じたり、嬉しく思ってくれるかもしれません。
そのことはあなたの人格、人生に影響します。
患者さん以外にも伝わるあなたの影響
そして、そのことは、あなたと接する、同僚看護師たちにも、帰宅途中に立ち寄ったコンビニの店員さんにも、帰宅後家族にも伝わります。
また、その影響はコンビニの店員さんから、コンビニのお客さん、店員さんの家族や友人にも伝わります。
こうして考えると、私たちは、毎日毎日、数千人は他人に影響を与えているそうです。
“人と人はつながっている”
こうした考え方も、あなたが看護師として生きるための、支えの一つになるかもしれません。
少しでも参考になりましたら幸いです。